ひきこもりは悪ではない。

ひきこもり

ただ、ひきこもることで問題が起こり、本人や家族が苦しんでいるだけでひきこもり事態に倫理的な善悪は絡まない。その苦しみの原因が色々あり、それをどう取り除くか?どのように付き合ってくかが肝要である。 

 

それは、人間不信であったり、コミュニケーションの能力であったり、

生きていく自信が失われていたり、多岐にわたる。

 

家族関係も色々だ。家族間の仲がいいからといって、解決ができるわけでもない。

仲がいいからこそ、自立を阻む壁になりうる。具体的かつ複雑な問題だからこそ時間がかかる。本人が解決を望んでいない場合もある。それでも、本人にとっての解決はそこにしかないのだ。少なくても本人自身はそう思っている。ある種の諦めであり、約束でもある。外の世界を失う代わり中の世界で生きていくことを選ぶ。

当人にとって、生きづらいと感じるなら、希望が失われたなら、やっぱり、ひきこもることを選ばざるを得ないと感じてしまう。でも、そういう人生を否定も肯定も評価も私達は出来ない。可能性として、そうだろうと想像するが私達にだってできないことは色々あるからだ。

 

だから、寛容でありたい。世間と自分の折り合いに色々な形があることを知り、

自分を卑下しないで認めていきたい。

 

ある意味、人生は短くて長い、10年引きこもることを長いとみるか、短いとみるかは自分次第なのだ。その時間を活かすのも自分次第である。全員が全員、真っ当に社会復帰する必要はない。その人の社会への関わり方はそれぞれあるのだから。

引きこもりは悪ではない。でも、引きこもる自分が嫌なら、そうした時間に退屈を感じるなら、一つ一つ何か行動を起こしていくことで自分が望む変化を引き寄せるしかない。

 

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